本発表の目的は、20世紀前半の満洲における日本のプロテスタント教会の立地状況の特徴を明らかにすることと、教会の立地と牧師の人事異動との関連性を明らかにすることである。その際、日本基督教連盟が1916年から1940年にかけて発行していた『基督教年鑑』という、当時の日本のキリスト教関係のデータブックを一次史料として使用する。分析期間は1916年から1940年にかけての5年ごとである。満洲におけるプロテスタント教会の立地状況を検討した結果、次の4点が明らかになった。①一貫して大連の教会数が最多であったこと、②1916年から1930年までの立地は南満州鉄道沿線の都市部にほぼ限定されていたこと、③1931年の満州事変以後、南満州鉄道以外の鉄道沿線の都市部にも教会が新規立地していったこと、④1910~20年代の比較的早い時期に立地した教会のほとんどは1940年まで安定的に存続していたこと。
また、牧師の人事異動の状況についていくつかの教派を比較したところ、①日本基督教会の場合、満洲事変を挟んで10年以上牧師が同じ教会で牧会をするケースが複数例確認され、②1940年前後に2つの教会を独りの牧師が兼任するケースが見られたが、鉄道沿線の都市の教会であったこと、③日本メソヂスト教会の場合、特定の教会が複数回にわたり兼任の対象となっていたこと、④日本メソヂスト教会とホーリネス教団の場合、牧師の人事異動に伴う引継ぎが、兼任の理由であった可能性が推測されること。
このように、戦前の満洲の中でも日本の権益が存在した南満州鉄道の沿線の都市、中でも関東州の大連が日本の満洲進出の拠点であったことから、こうした地域の在留日本人向けの教会が早くから立地し、存続していた。やがて1931年の満州事変と翌年の満州国成立により、南満州鉄道意外の沿線地域に日本の影響力が及ぶにつれ、教会の立地もまた広がっていった。そして、牧師の人事異動はこうした沿線をベースに行われていた。教会を取り巻く政治的、経済的、社会的な様々な要因がその立地や牧師の人事異動にも何らかの影響を及していた可能性が示唆される。