「冷戦・国連・「東西のかけ橋」―中東問題への日本の対応(1956~1958)」
〔概要〕1950年代後半の日本外交において、「国連中心主義」というアイディアが実践された、中東をめぐる国連外交を分析した。1958年のレバノン問題の発生に際し、岸内閣の藤山愛一郎以下の外務省は、「外交三原則」のなかの「国連中心主義」に依拠して、アメリカを撤兵させるべく努めた。これは国連の権威を持ち出し、アメリカの表面上の主張を抑えようとするものであった。その一方で、国連の場で、アメリカとアラブ諸国の妥協を仲介して、西側全体の利益を生み出そうとしたのであった。
『Discussion Paper Series』
筑波大学国際政治経済学研究科
No.3