本稿では、末法の世における救済の構造について検討した。平安時代中期以降の救済の構造は、本尊が絶対的救済力を持つのではなく、本尊の命令を受けて働く童子の存在が重要であった。なぜならば、阿弥陀仏をはじめとする仏は、源信の『往生要集』の影響によって、娑婆世界における穢身や穢土の穢れを嫌うと信じられていたからである。仏の代わりとしては、童子が救済にあたると信じられた。なぜならば、童子は穢れにかかわらずに救済にあたることができる存在だと考えられていたからである。
このように本稿では、末法の世における救済においては、童子が不可欠であったことを明らかにした。