「中世前期の青蓮院門跡における護法童子信仰の受容」
本稿では、護法童子像の成立と展開について論述した。青蓮院では、三昧流という門流を相承している。青蓮院では、乙護法という名の護法童子を三昧流の守護神として位置づけ、青蓮院の象徴としていた。青蓮院では、葛川明王院の政治的支配を行なうときに、葛川の地に乙護法の図像を描いた参籠札を立てたのである。葛川の参籠札に描かれた護法童子の図像は、後に、版木として彫られ頒布されるようになる。 本稿では、室町時代になって流通する護法童子像がこの版木を元にして成立していることを明らかにした。現在、多くの護法童子像が不動明王の二
『日本宗教文化史研究』
日本宗教文化史学会
第4巻
第1号
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