本稿は、19世紀の中国学者スタニスラス=エニャン・ジュリアン(1799-1873)とラザリスト会士との間で交わされた未公開書翰の紹介と考察である。ジュリアンがラザリスト会士へ送った書翰は、リール市立図書館に所蔵されている『中国への書翰』という小さなノートに記録されており、ラザリスト会士の書翰はラザリスト会本部の図書室に所蔵されている。本稿の第2部では書翰に言及される人物の略伝が示され、第3部では26通の書翰が紹介され、第4部では書翰の分析を通じて、ジュリアンの国際ネットワークの構造、役割、中国書籍コレクションの形成に関する次の3点が明らかにされる。まず、ジュリアンとラザリスト会士の関係は相互依存的なものであった。19世紀初頭はラザリスト会にとって不安定な時代であり、ジュリアンのように政治的・金銭的に中国の宣教活動を支援できる人物は本部にとって重要であった。一方、ジュリアンにとっても、1783年のイエズス会解散後、ラザリスト会が派遣する宣教師は中国で活動する唯一のフランス人宣教師であったため、中国からの書籍を求める際にラザリスト会に頼るしかなかった。さらに、中国に派遣されたラザリスト会士のうち、当時財務担当であったジャン=バティスト・トレット宛に送られた書翰が最も多く、彼はジュリアンの中国ネットワークのキーパーソンであったと分かる。しかし、中国書籍の購入や発送は必ずしも順調に行われたわけではない。その困難の原因として書翰から明らかになるのは、ジュリアンが送った手紙の頻度が高すぎて相手を混乱させたこと、そして1759年の「防範外夷規條」のような中国国内の規制である。最後に、ジュリアンとラザリスト会士の書翰は単なる19世紀の欧中学術交流の一例ではなく、現地で活動していた宣教師からフランスの中国学者に知識の独占が移行したことを示す資料であり、19世紀フランス・シノロジーの転換期を物語るものであると述べる。