共通論題「帝国の戦争経験をめぐる記憶と語り」第2報告で、「スマラン事件」と「トゥビン・ティンギ」事件について発表した。外地の終戦は内地とは異なり、現地の日本軍司令官と進駐連合国側代表との間で個別に降伏文書を交わした上で、日本兵の武装解除、収容、復員という過程を辿った。しかし、連合軍の進駐の遅れや兵力不足、現地人の独立運動の高揚などの要因によって、旧日本軍の武装解除が進まず、終戦後にも数多くの犠牲者が出ていた。そこでは現地人が旧日本軍から兵器を奪取するために、邦人を人質にとるため襲撃する事件が相次ぎ、中でも中部ジャワのスマランや北部スマトラのトゥビン・ティンギでは、インドネシア側による邦人虐殺と、旧日本軍の武力行使によって、日本人・インドネシア人双方に多大な犠牲が生じていた。その後日本側では、日本人はインドネシア独立に協力的だったことが強調され、旧日本軍とイギリス軍が協力してインドネシア側と戦っていたことは後景に退いた。一方でインドネシア側の歴史認識は、援助する側とされる側の「特殊関係」の制約を受けてきた。その後のコメンテーターによる指摘や会場からの質疑応答では、「戦後」の日本軍による占領と植民地に関わる軍事的暴力とそれがいかに記憶または忘却されてきたのかについて議論が行われた。