本論文は、「蘇門六君子研究」の一環として張耒の思想、特に原理的・本来的な天人関係を示す本性論と現実的な世界認識を示す歴史観について検討したものである。本性論に関しては、「性」を根源的原理「天下之理(道)」の人に於ける存在態ととらえ、結局心を治める問題と関係付けられる、という点では、同時代の学者と共通するが、孟子に依りながら「性善説」をとらず「万物皆我に備わる」を性説とし、又老荘を受容する姿勢が見られる点に特徴がある。又歴史観については、理想的な三代の治を実現するためには「文」から「質」への転換を図る必要が