怨霊と善神のはざま――『三国志演義』における関羽の「顕聖」――
『三国志演義』(以下、『演義』)において関羽は死後に「顕聖」して「頓悟」したにもかかわらず、直後に呂蒙・曹操に祟るという矛盾が見られる。本稿では、関帝信仰の文脈や『演義』の成立史を踏まえてこの矛盾をどう理解したらいいのか考える。怨霊として語り伝えられた段階での関羽像、宋代以降に善神になっていった段階での関羽/関帝像を、それぞれそれが分かる伝説によって確認し、その後で元末明初に成立したとされる『演義』に見られる矛盾をどう理解したらいいのかについて、二つの点から検討した。
二松学舎大学 東アジア学術総合研究所集刊
二松学舎大学東アジア学術総合研究所
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