南都興福寺の楽人・狛近真の手になる総合的楽書『教訓抄』には、雅楽の由来に関する記述が見られ、漢籍からの引用や中国の故事への言及が頻繁に登場する。当時の楽人がどのような漢籍を参照できる立場にあり、それをどのように消化したのか、また楽人達の教養はどのようなものであったのか、ということが、漢籍の受容の在り方を知る上で問題となる。そこで、『教訓抄』に見える漢籍の種類を調べ、その引用の仕方を検討、また典籍名が記されていない中国に関連する記述の典拠についても跡づけられるかを検証する作業を行った。
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